【小学生の母子分離不安】不登校気味の小3男子の症状と担任だった私の対応。

小学生で起こる「不登校」と「母子分離不安」。
この二つは密接な関係があります。

 

というのも、私が小学校教員時代に出会った3人の不登校児の内、2人がこの「母子分離不安」の症状だったからです。

 

小学3年生の男の子と、
小学4年生の女の子。

 

小学3年生の男の子の時は学級担任として、小学4年生の女の子の時は、通級学級の担任の時に関わりました。

 

同じようなケースで悩んでいる親御さんはきっと色々な体験談や経験談を知りたいと思いましたので、2人のプライバシーを考慮しつつ、小学校教員の立場でどのように2人の児童と関わっていったのかその様子をお伝えしたいと思います。

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小3男子Aさんのケース

A君は、真面目でルールや約束事をしっかりと守る男の子。几帳面でお勉強もできるお子さんでした。お母さんはシャキシャキとした感じの方で、何でも聞いてくるA君にしっかりと「〇〇しなさい。」という感じでした。

 

当時、な~~んだか不自然に感じたA君とお父さんの関係、お兄ちゃんの存在。とにかくA君とお母さんの密接度が半端なくて、後の2人(父、兄)の関係がものすごく薄いんです。

 

はた目から見てたらA君の学校の問題は全部お母さん1人にいっている感じで、お父さんの関りや発言は皆無でした。今一人の母親として私が感じる事は、当時のA君のお母さんの孤独感や母としてなんとかしないとというプレッシャーは相当なものだったんじゃないかと推し量れます。

 

幼稚園~小2までのA君の様子

お母さんや学校からの話だと、A君は幼稚園時代からお母さんと離れられず母子登園していた様子でした。当時の幼稚園ではA君の様子は有名で、泣いたり叫んだりすごかったそうです。

 

しかし、A君、意外にも小学校1年生の時は問題はありませんでした。というのも1年生の時の担任は、全てしっかりと指示を出すタイプの女の先生でした。

 

A君はこの「全部指示を聞き、その通りに動く」というマニュアルタイプの女の先生が大好きで母子分離不安の症状はほとんどでなかったそうです。

 

A君が2年生になると、今度は高学年を担当することの多かった年配の男の先生が担任になりました。

 

高学年上がりの男の先生なので、小さな事はイチイチ指示せず、「自分で考える」ことを促す指導法の先生だったようです。

 

私から見ると、男の先生は授業がうまく、子どもを惹きつける魅力ある先生でした。

 

しかし、A君にとっては違っていました。「自分で考える」ことに対し極端に苦手意識があるA君。学級で自分で考える場面が増えるにつれ、どうすればいいかわからず不安になり、お母さんに頼るようになってきました。

 

その頃からお母さんは一緒に登校し、廊下で立ってA君が不安な事がある度に対応するように。

 

それから親子は総合病院にある専門機関でカウンセリングを受けると同時に薬の投与も始めて、症状はピーク時に比べると収まったそうです。

 

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小3でのA君の様子

私が担任だった3年生。新学期当初は大丈夫でしたが、気付いたらお母さんが廊下でずっと待つ状態になっていました。

 

この頃は教員5年目位で経験もある程度積んでいた私ですが、この状況に最初戸惑いを隠せませんでした。

 

A君は人見知りが強く、私が「〇〇しようか」と言うと、いい時は「うん」や短いコメントを付けてくれるんですが、ダメな時や迷う時はお母さんの元へピューッと行ってしまいました。

 

また、A君とお母さんの間にはルールがありました。

 

今日は何時間目まで待つかA君と話して決める

もしお母さんが用事で廊下からいなくなる時は必ずA君に相談する

 

特に、「お母さんが今日は何時間目まで待つ」かを決めるのが大変でした。A君はお母さんと話し出すとお母さん以外の人の話はほとんど聞かない(ように見える)のです。

 

2人の親子の話が平行線の時は、担任の私も出て加わるのですが、やっぱり平行線(ガーン…)。

 

私の担任としてのNG行動

その頃A君のお母さんは、夜勤明けにそのまま学校の廊下でA君を見守っていたので、私は少しでもお母さんの負担を軽くしたい、少しでも早くA君の自立を促したいと学校の玄関で2人を別れさせるよう試した期間もありました。

 

しかし結果は逆効果。
ギャン泣きして離れたがらないA君…。

 

今思えば、結果を出したくて焦っていたのですね。
教員時代の恥ずかしい愚行でした・・・。

 

このように色々試行錯誤しながらあまり改善は見られなかったものの、1年間が過ぎ、A君は4年生になっていきました。

 

私は臨時採用の職員だったため、3年生の担任が終わるとまた別の学校へ行った為、4年生になったA君の話は小耳で聞く程度でした。

 

私の記憶が確かなら、4年生になったA君は、その後なんとか自分で学校へ行けるようになり、学校を楽しんでいると聞きました。

 

来たる「時期」がA君に来たのですね^^

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A君の担任になってからわかったこと

その頃の私は、教員5年目位の熱血感溢れる若手教師で、「何事も頑張れば結果がついてくる」と考えてました。

 

自分自身、不登校の経験はなく、順調に国立大学まで進学して教員になっていたので、何事も自分が頑張ればうまくいくと勘違いしていたのです。

 

しかし、A君に出会ってその考え方は変わりました。

 

担任としてA君やお母さんには申し訳ない失敗をしたり、A君が通う診療所のカウンセリングの担当医に会い、プロの話を聞いたりして自分の努力だけではどうにもならないことがあると悟りました。

 

いくらこちらが働きかけをしても、A君の心が動かなければA君は動かない。

A君の不安が解消されないとA君の心は動かない。

A君の不安を解消するにはA君の思う通りに周囲が動いてあげなきゃいけない。

 

お母さんや担任ができる事は一つ。

 

大人の都合を入れず、A君本人が「もういい」と言うまで待つ

 

という事。要するに「甘えさせる」ことなんですね。

 

「自立」はこの「甘え」の経験が十分にないと育めないと言います。

 

特にA君の場合、私が出会った時の状態はまだまだ不安定な時期だったので、一歩進んでは2歩下がるような毎日。本当にこのままでA君とお母さんは将来離れられるの??と担任の私でさえ不安でした。

 

しかし、カウンセリングの担当医のアドバイスで、

 

A君が「お母さんを必要としなくても大丈夫」という安心の水がコップからあふれたらもうお母さんは自然と必要なくなります

 

という言葉があり、なぜだかスッと心が軽くなった覚えがあります。

 

そう、答えはA君が持っている

 

周囲はその時期が来るまで温かく見守ればいいんです。

 

・・・と10年以上経った今振り返れば余裕持って言えるんですけど、渦中の人はなかなかそうはいきませんよね(;^_^A

 

でも、いつかかならず自立の日はやってきます。

 

A君と今まさにお子さんが似たような境遇にいらっしゃる方は、今は見えない暗いトンネルの中かもしれませんが、お子様が自立するその日に一日一日向かっていると信じて過ごしてみてはいかがでしょうか?

 

長くなったので、小学4年生の女の子の話は次回にします。

 

 

最後まで読んでくださりありがとうございます。

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